クリエイターインタビュー

第12回:新規オリジナルIPを立ち上げる中で感じた絆と得られた経験とは?【バンダイナムコスタジオ クリエイターを深掘り!】

バンダイナムコスタジオのクリエイターたちは、「自分の開発したゲームでみんなを楽しませたい!」という熱意を持って、ゲームを開発しています。その気持ちはどこからくるのでしょうか?この記事では、弊社のクリエイターの好きなモノや出来事を通して、ゲーム開発に繋がる想いを紹介します。

第12回目は、『SCARLET NEXUS』開発ディレクターの穴吹 健児さんにお話を伺いました。新規IPとなる『SCARLET NEXUS』開発秘話から、ゲーム開発における熱い想いまで、さまざまなお話を伺いました。ぜひお読みください!

『スカーレットネクサス』開発プロデューサー兼ディレクター穴吹 健児

『SCARLET NEXUS』
開発プロデューサー兼ディレクター
穴吹 健児
『SCARLET NEXUS』
開発プロデューサー兼ディレクター
穴吹 健児

― 現在の所属とお仕事内容を教えてください。

現在は、第3スタジオ第3グループに所属しています。昨年度までは『SCARLET NEXUS(スカーレットネクサス)』の開発チームに従事していました。このタイトルは、脳とテクノロジーが発達した世界を舞台に、自らの超脳力である「念力」と仲間がもつ様々な超脳力を駆使して戦うアクションが特徴です。また、2人の主人公の視点で描かれる重厚な物語を体験できるので、同じ出来事を別の視点で体験できる楽しみもあります。完全オリジナルのタイトルとなっています。

― 元々は、『テイルズ オブ』シリーズに携わっていたんですよね?

はい、元々「日本テレネット」という開発会社に所属しており、その会社の一部が『テイルズ オブ』シリーズを開発していました。その会社が『ナムコ・テイルズスタジオ』になり、その後、「バンダイナムコゲームス」に吸収合併され、最終的に『バンダイナムコスタジオ』に分社化しました。会社は辞めていないのに、会社名だけは変わっている感じですね(笑)。

『バンダイナムコスタジオ』になってからですが、日本テレネット時代から付き合いのある樋口(現在の上司)が、別のプロジェクトに異動になるという時に、僕も一緒に引っ張られて、7~8年ほど別タイトルの開発をしていました。スカーレットネクサスの立ち上げは、そちらのタイトルにメインで携わりながら、ある程度、薄く並行して行いました。

スカーレットネクサスを立ち上げた頃は、会社として「新規IPを立ち上げようぜ!」という考えが特に強い時期でした。社内企画コンペがあり、スカーレットネクサスとは別の企画を出したところ、その中で最終3名は選ばれたのですが、こちらは残念ながら形になりませんでした。

でも、社内企画コンペとは異なる取り組みとして進めていたスカーレットネクサスの企画が会社から理解を得られたため、予算を頂き本格的に開発に着手できました。

スカーレットネクサス
スカーレットネクサス

― 穴吹さんのキャリアをもう少し詳しく聞かせてください。日本テレネットに新卒で入社されたのでしょうか。

いえ、新卒入社ではありません。大学新卒での就職活動ではゲーム業界の会社を十何社受けたのですが、全て不合格となってしまいました。

ゲーム会社は全て不合格となってしまったものの、就職浪人をするわけにもいかず、大学の推薦枠がある企業に入社させて頂くことになりました。就職が決まったのも4年生の秋から冬にかかるタイミングで、相当遅かった方だと思います。

その会社に入ってからはSEの仕事を2年ほどやっていたのですが、それでもゲームの仕事が諦められなかったんですよ。そこで、「もう専門学校に行くべき」と考えるようになり、SEの仕事を続けながら22時から深夜のファミレスでバイトをして、学費を貯めていました。

ゲーム業界に新卒で入社できなかった理由を振り返ると、そもそもゲームを語れる力がなかったのかなと感じていたので、ゲームを分析するレビューブログをやっていました。また、仕事でプログラムを書くこともあったので、それらの強みを生かして何社か受けたところ、日本テレネットに縁があり、入社させて頂くことになりました。なので、結果的には専門学校には行きませんでした。

― 日本テレネットには、プログラマーで入ったのですか?

いいえ、ゲームデザイナーとして入りました。ゲームデザイナーの中も仕事がいろいろあって、スクリプターというC言語ライクな簡易言語を活用してイベントシーンを作成したり、マップチェンジやカメラの設定、ダンジョンのギミックの組み込みなどを行う仕事でした。そうは言いつつも、ゲームデザイナーの仕事が、今よりも細分化されていない時代だったので、スクリプターもやるし、仕様も書くし、キャラクターのセリフのテキストも書くし、といったなんでもやる時代でしたね。

入社試験では「やれることは何でもやります」という意気込みを伝え、内定を頂いていたので、ゲーム開発以外にも、SE時代の経験を活かし、ファイルサーバの管理やLANケーブルを繋いでネットワークを構築する仕事なども行っていました。

ゲーム開発の中で一番熱い思い出は?

― 穴吹さんの経歴が聞けて、とても面白かったです! 現在も含めて今までの仕事で印象深いエピソードはありますか?

スカーレットネクサスの立ち上げからリリースまでが、自分の開発人生20年くらいで一番熱い思い出です。最初から最後までやらせて頂けたことが、本当に貴重な経験となりました。

シリーズものではない、全く新しいタイトルの開発が、私にとっては初めてだったのも、印象に残っている大きな要因です。シリーズタイトルとして、過去の積み上げが何も無い状態から作り上げていくのは、大変ではありましたが、何物にも代え難い経験になりました。

― CEDEC+KYUSHU 2022でも登壇されていましたよね。

スカーレットネクサスの開発について語っているCEDEC+KYUSHU 2022で登壇した動画は、バンダイナムコスタジオの方は勿論、ゲーム業界で新しいタイトルの開発に携わりたいと考えている方には是非視聴して頂きたいです。

開発チームの状況や時代によって、僕らの経験談がフィットしないこともあるかとは思いますが、新しいタイトルをゼロから開発することはよくある事では無いので、ゲーム業界の後輩には積極的に共有していくべき内容だと思っています。

その動画の中でもお話しているのですが、ゼロベースで作っていく苦労がすごくありました。特にチームの中でのコミュニケーションの取り方は学びになりました。自分が発注する際、頭の中にあるものを相手に伝えるのですが、参考にすべきものをいろいろなところから引っ張って組み合わせて話すことがありました。「この部分はあのゲームのあんな感じで……、こっち部分はこのアニメのあのシーンを参考に……」という伝え方をしていました。

ところが、自分の中では伝えられているつもりが、聞く側には全然伝わらないということがありました。結果的に担当者を混乱させてしまったので、伝え方の重要性について改めて学ぶことができました。

― スカーレットネクサスは、どういうきっかけで着想したタイトルなんですか?

以前から超能力をテーマにしたゲームを作りたいなとは思っていました。超能力って誰も使えないけど多くの方が知っている題材じゃないですか。超能力体験って言われたら「こんなことができるのかな」というポジティブな想像がしやすいのが良いと思っていました。あと、個性豊かな「超能力集団」というものに憧れがあり、いつか自分で表現できればと考えていたのも理由のひとつです。

― スカーレットネクサスの世界観や設定は、最初から穴吹さんがきっちり決めていたのでしょうか?

いえ、私からお伝えしている部分もありますが、やはりシナリオライターの実弥島巧先生が作ってくれた世界設定や、アートディレクターの落合が描いてくれたイメージアートによって世界観が出来上がっていきました。

また、一部のキャラクターデザインとコンセプトアートを手掛けた石川珠実に開発中、いろいろなアートを描いて頂いたのも大きかったです。彼女には発売後にもSNS投稿するためのアートを沢山描いてもらい、タイトルの認知拡大に繋がったと感じています。

― これらのゲームを作る時にどういうものを参考にされているんですか?

他のゲームは勿論ですが、音楽やアニメ、ドラマなど、ゲーム以外から着想を得ていることも多いですね。でも、日常生活を過ごしていて、何気なくアイディアを思いついたことはありません。

何も考えずに過ごしていてふとした瞬間にアイディアを思いつくことはなくて、常に自分から求めているアイディアを迎えに行っている感じが近いかもしれません。「アイディアが降ってくる」と表現される方もいると思いますが、自分の場合は「迎えに行っている」や「探し当てている」という感覚に近いです。「ここかな……?いや違ったこっちかな……?」という感じで自分の頭の中で考えを巡らせた結果、極稀に求めていたものにようやく出会えることがある、という感覚です。

―  開発現場では、いろんな方がいらっしゃるかと思いますが、心がけていることはありますか?

できるだけ自分が率先して行動することを心掛けています。

ポジションがある程度上になっていくと、指示だけして実際のアクションは他のスタッフに任せるということが多くなりがちです。勿論、それで上手く行く事もあるのですが、実際には進めていく上で問題が沢山潜んでいるため、言い出しっぺの人間が強い意志を持って行動しないと、それらの問題を乗り越えられないことも多くあると思います。そうならないようにできるだけ自分が率先して行動するようにしています。また私が率先して汗をかくことで、チームの士気が上がるようにすることも意識しています。

東京マラソンで得られた絆とは?

―  2022年度の東京マラソンでユイトのコスプレで走っているのを拝見して、自分の作品を知ってほしいという想いの強さを感じました。そういうちょっと泥臭い部分も含めて、穴吹さんがチームを引っ張っているのですね。

東京マラソンで「ユイト・スメラギ」のコスプレで走る穴吹さん
東京マラソンで「ユイト・スメラギ」のコスプレで走る穴吹さん

無事に東京マラソン完走しました(笑) 。本当にギリギリでした。きつかったけれど、会社の人が応援にきてくれたり、スカーレットネクサスを一緒に開発した(株)トーセの方々が、わざわざ応援にきてくれたりしたので、ギリギリ頑張って完走することができました。

(株)トーセは京都にオフィスがあるのですが、わざわざ車で深夜から朝にかけて、東京までこのために来てくれました(笑)。 ありがたいことに人に恵まれているなと感じました。

別に強制はしていないのですが、自分が頑張ることで彼らも頑張ろうと思ってくれたのは嬉しいですし、そういうことを思ってくれる方が多いので、僕も一緒に頑張ろうと思えるような気がします。

― たしかに、「穴吹さんチームの頑張りがすごい!」と話題になるくらいでした! そんな穴吹さんがこれだけは大事にしている自分ルールはありますか。

感情論であまりしゃべらないようには意識しています。僕はどちらかというと右脳派というか、感覚的に受け取り、考えてしまうところがあると自覚しています。自分でとらえる時は感覚的でも、人に伝える時はそうならないように、できるだけ論理的に言語化して、「何故この仕様なのか、何故ここが問題なのか」ということをしっかり論理的に話せるように意識しています。

今後チャレンジしてみたいことはあります?

常に思っているのは、この仕事を続けている限りというか、自分が引退するか死ぬまでは、自分が携わったもので人に影響を与えていきたいなと考えています。

自分の中からアウトプットされたもので人に影響を与えられるのは、自分が生きた意味があると感じられます。そういうチャレンジをできれば死ぬまで続けていきたいなと思っています。

― 最後に、座右の銘を教えてください。

芸術家の岡本太郎さんがおっしゃった「瞬間瞬間に生きる」です。

岡本太郎さんの名言で「オレは過去も無視して、未来も無視して生きている。現在この瞬間瞬間に爆発して生きるんだから」という言葉があります。

高校3年生の時、担任の先生が「毎日生きているのって必然ではなくて、単純に可能性が高い偶然が連続しているだけなんだ」と仰っていました。その時は言葉の意味は理解できるものの、実感として感じることはできませんでした。ただ時を経て言葉の意味を実感できるようになり、それを端的に表現した「瞬間瞬間に生きる」という言葉が今の私の座右の銘となりました。

今後世界がどうなるか分からない中、僕自身がクリエイターとして何年活動できるかわかりませんが、その日できることに真剣に向き合い、毎日やり切ったと思いながら生きていきたいと考えています。

― 穴吹さん、ありがとうございました!

前回の記事「第11回:ナラティブディレクターが実践する『アイデアをストックする方法』とは?」はこちら

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