クリエイターインタビュー

クリエイターインタビュー

「ゴッドイーター」「コードヴェイン」生みの親・吉村広が貫き続ける開発姿勢と新たな挑戦とは?

「ゴッドイーター」や「コードヴェイン」など、数々の大型タイトルを立案しディレクターを務めた吉村広さん。

数々の新規タイトルを世に出し続ける彼ですが、新人時代から貫き続ける開発姿勢があるとのこと。

ゲームを開発する中で最も辛かった経験から、「コードヴェイン」立ち上げの経緯や今後の抱負まで、吉村さんがナムコ(現バンダイナムコスタジオ)に入社されてから今までの開発者人生を深堀りしていきます。


ゲーム業界を志したきっかけ

吉村:もともと小さいころから絵を描いたり、ものづくりがとても好きだったんです。

ただ、大学では全然違う、理系に進みまして。その後いざ就職となったときに、やっぱり好きという気持ちが忘れられなくて、サラリーマンとしてものづくりができる業界、中でも当時非常に勢いのあったゲーム業界を志しました。

もちろん、ゲームも好きだったので、人生で一度は自分の好きなことで勝負してみるのも良いかも、と思いナムコを受け、企画職(現ゲームデザイナー)として内定をいただいた形です。

吉村:アーティストとして選考を受けることも考えたのですが、当時の自分には専門的技術が無く、一からスタートできる職種だと考え企画職を選びました。

バンダイナムコスタジオで働き続ける理由

吉村:幸いにして私は周囲の方々に本当に恵まれていて、自分の立ち上げたタイトルをずっと作り続けることが出来ているんです。

周りにご迷惑をたくさんかけてしまっていますし、もちろんしんどいこともありますが、滅多にできる経験ではないと思っています。

自分の考えたものを世に出すにあたり、助けていただいた方々が会社にいる。その方々が会社をより良い状態にしようと頑張ろうとしている中で、私自身もお返ししていかなければいけないという思いがあります。

自身の力不足を痛感した入社直後

吉村:一番初めは「テイルズ オブ レジェンディア」のプロジェクトに参加しました。

当時立ち上げ直後で、作り方も模索しながらという状態だったのですが、いきなりバトル統括を任されることになったんです。

ひたすら色々なタイトルを研究して、自分なりに解釈して…分からないものを分かる状態にする、ということを必死にやっていたのをよく覚えています。

吉村:やはり力不足だったと感じますね。本来ユーザーに喜んでいただけるものを見据えて動く、というのが我々の役目だと思うのですが、あの時は目の前の問題を解決することを優先してしまった。

もちろん、製品自体はユーザーに向き合ったものになっていますが、私自身の仕事だけを見たときに反省が残りましたね。

吉村:そうですね。その後「ゴッドイーター」を立ち上げたのですが、最初から決めていたんです。

「ユーザーの皆様をとにかく見続けて、作り手の都合による妥協は極力しない」と。

当時は珍しい、ユーザーの声を拾い上げるやり方を貫いてきました。例えば、体験版の配信後、リアクションをもとに製品をアップデートしていき、発売までに改善しつづけるという。今では当たり前ですが。

それは、「テイルズ オブ レジェンディア」の経験がこの開発姿勢に繋がっていると思います。

「ゴッドイーター」タイトル発表時に得た大きな反響と不安

吉村:企画当時は携帯機でのマルチプレイが流行っていたので、みんなで集まって協力したり、対戦したりできるゲームを考えていました。そしてターゲットである小学生~中学生を集めて制作途中のものを見せたところ、これが全然響かなくて。彼らは他のマルチプレイゲームに夢中でしたね。

そこで、彼らが求めるものを見据えつつ、他のゲームとは違う、差別化された点を徹底的に盛り込んだ形です。

吉村:一番大きいのはストーリーとキャラクターです。あとはアクションが非常にハイスピードで、爽快感のあるものに仕上げたあたりでしょうか。

吉村:タイトルを発表したときは想像以上にニーズがあったように感じました。ユーザーが望む世界観にマッチしている実感がありましたね。すごい反響だったのを覚えています。

吉村:そう思うでしょう?(笑)

実際には、高まる期待に対してしっかりと応えられるのかっていう不安に苛まれるんですよ。

発表後はより緊張感に包まれながら開発にあたりました。

ゲーム開発者人生の中で最も辛かった「ゴッドイーター2」の開発

吉村:特に「ゴッドイーター2」の開発が大変だったのを覚えています。

「ゴッドイーター」「ゴッドイーターバースト」を経て作品が世に浸透していきました。そして、次(ゴッドイーター2)を作ろうというタイミングで市場の期待がより高まりますよね。

その期待に応えようとしたときに、作品がこれまで積み上げてきた価値も併せて見なくてはいけない。そこを客観視することって意外と難しくて、足りないところばかり気になってしまっていたんです。

本来の良いところを活かしきれずに迷いが生じ、途中でプロジェクトを一旦休止することになってしまいました。

当時とても辛かったです。自分の力不足を改めて痛感しました。

私たちが作ってきた作品とは一体何なのか、徹底的に整理しました。全部言語化して。

このアイデアは何のためにあって、じゃあこのアイデアの複合体は何のためにあって…というのを全部付箋に書き出して関係性を明らかにしていきました。

自分が作ってきたものに立ち向かう感覚ですね。膨大な量だったので、3~4ヵ月間はかかったように思います。

その期間は私のゲーム開発者人生の中でもかなりしんどかったですね、本当に。(笑)

ただその期間があったからこそ、「ゴッドイーター2」を世に出すことができました。そこで「ゴッドイーター」の主軸であるストーリーとキャラクターをユーザーに最大限楽しんでいただける形にもっていけたんじゃないかな。

「ゴッドイーター」開発チームが再集結!「コードヴェイン」立ち上げの経緯

吉村:当時、海外市場が非常に大きくなってきていました。そのような流れの中で、海外市場でも通用するタイトルの開発にもチャレンジしたいという気持ちが沸々と湧いてきたんです。

「ゴッドイーター」の開発チームメンバーも同様に、新しいステップにチャレンジして開発者としての経験値を積みたいと感じていたようで、じゃあ勝負してみようか、と立ち上げたのが「コードヴェイン」ですね。

吉村:はい、当時はユーザーを集めてゲームを体験いただき、ご意見を開発者が直接聞くというイベントも実施していました。

市場が大きくなるにつれて、対面でいただくご意見だけでなく、SNSでのリアクションも注視していましたね。

ゲーム開発時に得られる刺激と高揚感が最大の醍醐味

吉村:やはり自分が考えたことや作ったものが世に出て、何百万人という人に届くってあまりなくて、ゲームならではなんじゃないかな。

もちろん自分だけでなく、チームメンバーそれぞれのアイデアが詰め込まれて出来上がったものが全世界に届く。

その刺激は何事にも代えがたいな、と思います。

ただ、ゲーム開発って途中も楽しいんですよ。集団でものづくりをするという苦労はありつつも、仲間ひとりひとりが非常に高い能力を持っていて、私自身の想像を超えた成果物が出てくる。その瞬間がたまらない。

優れた仲間とのやり取りを経て自分の想像以上のもの、そして世の中に未だないものが出来上がっていく。あの高揚感はゲームならではだと思いますね。

今までも、そしてこれからも。共に作品を育てていきたい

吉村:もちろん一緒に働いてくださればそれだけでありがたいのですが(笑)、自分が作っているものに対して真摯に向き合い、責任を持って取り組んでいる方はやはり私の想像以上の成果物をあげてくださるように思います。

ゲーム開発は以前と比べて大規模かつ長期化しているので、それぞれが部分的な対応をすることが多くなってきているのですが、そのような状況の中でもその姿勢を持てれば良い作品を作ることができる。

自分の仕事が、ユーザーに届くということをどれだけ想像できるかが大きいのではないでしょうか。

吉村:引き続き一生懸命ゲームを作り、成長していきたいです。ちょっとずつでも高みを目指した挑戦を続けて、仲間たちやユーザーの皆様と一緒に作品を育てていきたいと思っています。

抱負というところでは、「挑戦と成長」です。

GOD EATER™Series & ©Bandai Namco Entertainment Inc. CODE VEIN™& ©Bandai Namco Entertainment Inc. 

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