.jpg)
3D対戦格闘ゲーム「鉄拳8」が2024年1月に発売され、はや1年が過ぎました。
そこで今回は、30周年を迎える「鉄拳」シリーズのエグゼクティブゲームディレクター/チーフプロデューサーである原田勝弘さんと、「鉄拳7」「鉄拳8」でゲームディレクター/開発プロデューサーを担当する池田幸平さんに話を聞きます。
1994年の「鉄拳」からシリーズに携わる原田さんと、プレイヤーから開発側に転身した池田さんが語る、「鉄拳8」での学びや自主性を重んじる鉄拳プロジェクトの文化、ゲーム開発者を目指すために必要な心構えとは?
いきなりワールドワイドの家庭用ゲームを出すという、これまでになかったチャレンジ
―今日は「鉄拳8」やシリーズ全体について色々と聞かせてください。「鉄拳8」の発売から1年が経ちますが、振り返ってみていかがでしたか?

原田:これまではまずアーケード版を発売し、ボリュームを増やして家庭用ゲーム機に移植してきました。
しかし、今回はいきなり家庭用とPC版を全世界同時発売しています。
それだけに、この1年はこれまでと違ったフィードバックを得ることができました。
池田:「鉄拳7」が1,200万本売れたので、ここからどう変えていくかという課題もありました。
システムも、カジュアルなお客さんからプロプレイヤーの方までを受け入れるようにする必要もありましたし。
―アーケード版が出ていないことで、開発はどう大変になるのでしょうか?
池田:これまでの「鉄拳」シリーズでは、アーケード版から家庭用を出すまでに3年ほどかけていますが、いきなり家庭用の大ボリュームを用意する必要がありました。
原田:お金のかかり方も違います。
これまでだと、まず日本とアジアのアーケード版、次に家庭用…と段階を踏んで開発費を使っていたものが、今回はいきなりワールドワイドの家庭用です。
社内から「こんなに多くの開発費が!?」という声が上がったほどの違いでした。

―「鉄拳7」とは開発費の総額が違うのでしょうか?
原田:「鉄拳7」のアーケード版にかかったお金は、比率として「鉄拳8」の1/10くらいでした。
こういう時代が来るのは分かってはいたんですけど、まさかここまで違うとはという感じです。
池田たちが頑張ってくれたので、300%全開で褒めてあげたいですね。
②.jpg)
―開発期間も予算も、段階的にかけていたものが一気にやらなければならなくなった。それは大きな変化ですね。
格闘ゲームのために格闘技に入門する、自主性の高い「鉄拳プロジェクト」文化
―いきなりワールドワイドの家庭用ゲームを出すということで、ビジネスモデルが変わった「鉄拳8」ですが、他にはどんな変化がありましたか?
原田:若いプレイヤーさんがすごく増えました。
ビジネスモデルと発売方法が変わると、お客さんも変わるということですね。
―今の「鉄拳」のボリュームゾーンはどれくらいなのでしょう?
原田:25、6歳です。他の格闘ゲームと似てはいますが、「鉄拳」シリーズは3作に1回くらい世代交代に成功していることが大きいです。
これまでの世代の方は僕や池田をご存じで、大会の時は会場や空港でお声がけいただくこともありました。
しかし、新しい方はそうではないのが逆に嬉しいです。


―開発側である鉄拳プロジェクトの世代はどうでしょうか?
池田:今回は若いメンバーも加わり、発売後は自分たちが携わった「鉄拳8」を熱量高く遊んでいます。
昼休みに対戦したり、「MASTERCUP」という5人チームの大会にお忍びで7チームが出場しました。
―長期で続くIPにおいて、世代交代を成功させているということ自体が大きなトピックというか、このテーマだけで数時間お話を伺えそうですね。開発者の熱量が高いのは鉄拳プロジェクトの文化なのでしょうか?
原田:ゲーム開発や格闘技など、色々なベクトルで熱量の高い人が集まっています。
どの仕事をするかの担当範囲がしっかり決まっておらず、やりたいことを取り合うような文化でした。
―大きなプロジェクトの仕事は、担当範囲を決めておかなければならないという先入観がありますが、鉄拳プロジェクトではそうではない?
原田:自分で見て、考えて、判断する人間で構成されているのが鉄拳プロジェクトです。
僕自身も、ディレクターやプランナーの範囲を越えて、UIのドット絵やアート回り、音楽やモーションキャプチャのディレクションもやっていました。
ただ、他のプロジェクトからは「毛色が違い過ぎてて怖い」といわれてましたね(笑)。
池田:自分が以前「ソウルキャリバー」のチームにいたときは、攻撃がヒットした感覚を強めたくて鉄拳プロジェクトの人に話を聞きに行きました。
そうすると「大丈夫だった?」って心配されるんです(笑)。
③.jpg)
―そこまでの自主性を持って仕事に取り組んでくれるメンバーというのは頼もしい存在だと思います。
原田:昔のナムコでいうところの「Willマインド」。
やりたいことがあるなら自分でやってしまえ、という心が受け継がれているような感じですね。
例えば、「鉄拳タッグトーナメント2」の時に僕は制作チームを率いるような仕事をしています。
厳密にいえば「鉄拳」の担当でもなんでもなく、ゲームがどれだけ売れても評価されない立場でした。
でも、鉄拳プロジェクトの皆は「原田が無理矢理に壁を越えた」なんて風には受け取らないんです。
―やりたいことをやるのが鉄拳プロジェクトであるからこそですね。自主性の強い人材を選んで加えるのでしょうか?
原田:みんな「鉄拳」が好きだから、職種を問わず自主的に集まってくれるんです。
それこそ、僕がゲームセンターでスカウトした人もずっと「鉄拳」の仕事をしてくれていますし。
池田:より良いものを作るため、空手や詠春拳、躰道といった流派の道場で、自ら技を体験する者もいます。

―「鉄拳」では技から痛さが伝わってくるようですが、そうした迫力も自主性から生み出されたものなのですね。仕事をする上では、人材はどのように割り振られるのでしょうか?
池田:自分の得意なところを積極的にやる人が多いですね。
ひとくちに「アニメーション」と言っても、モーションや表情、しぐさなど様々なものが必要になりますから、自分が得意なところを担当できます。
そうした人々が集まっているので、鉄拳プロジェクト全体を見るとバランスが良いものになっているわけです。
原田:「好きこそものの上手なれ」を最も体現しているプロジェクトではないでしょうか。
④.jpg)
作ったものが形となって世に現れる。だから自主的に頑張れる。
―「好きなことを仕事にすると、理想と現実のギャップで大変だよ」と言われることがあります。鉄拳プロジェクトですと、好きで遊んでいた「鉄拳」に携わることは嬉しいけれど、納期を守った上で高いクオリティの仕事をしなければならない現実に直面しますね。
原田:ゲーム開発の仕事に就く際、同じことを親から言われましたね。
ただ、ゲーム業界ではどんなに開発が辛くても、いつかは作品が完成して世に出ます。
だから好きなことならいくら辛くても続けられるんです。
池田:格闘ゲームだと自分が作ったものを様々な人たちが遊んでくれるのをリアルなイベントで直接見ることになるので、そこでもモチベーションが上がります。
自分が作ったものがここまで具体的になる職業というのも、あまりないですから。

―鉄拳プロジェクトにはどのような人が向いているのでしょう?
原田:能動的に動けて、興味のあることに前向きになれる人。
そして、自分が作ったゲームがプレイされていることに喜びを感じ、プレイのされ方やプレイヤーさんのコミュニティに興味がある人が良いでしょうね。
作っている方が途中で心折れてしまう作品や、上手くいかない製品というのはこうした部分にあまり興味がないことが多いですから。
逆に、ゲーム開発に関する知識はあまり気にしなくて良いと思います。
―池田さんはゲーム開発の経験なしにゲームメディアから転職されたわけですが、苦労はありましたか?
池田:開発経験はないけどキャリア採用されたので、誰もやり方を教えてくれないんですよ(笑)。
「なんで、みんなは色んなことができるんだろう?」という葛藤もありましたが、「ソウルキャリバー」も「鉄拳」も良い人が多かったので、少しずつゲーム開発を学びながら、分からないことを周囲の人に聞きながら苦労しつつスキルを磨くことができました。
⑤.jpg)
原田:僕の場合は初代PlayStationでポリゴンを使ったゲーム作りが新たにスタートし、みんながゼロから学んでいるところでしたね。
開発の規模も小さくて全体を見ることができました。
―そう考えると、昔の方が良かったのでしょうか?
原田:逆に今はネットがあります。ゲームの作り方を動画で学べたり、無料のツールやその使い方がすぐに手に入る。
何よりもゲーム会社が成熟したので、教育プログラムがしっかりしているのがポイントでしょうね。
後編はこちら▶【「鉄拳」シリーズ30周年記念】原田勝弘&池田幸平が語る!「鉄拳8」制作の裏側や開発者に必要な資質とは?(後編)
取材・文/箭本 進一
TEKKEN™ & ©Bandai Namco Entertainment Inc.